2002-03-28 第154回国会 参議院 厚生労働委員会 第5号
そして、国会でも社会党の須原昭二議員始め、その人たちが援護法の法案を出したりしているということでございます。 国の政策が後手に回ったために被害者を出したヤコブ病訴訟、そしてハンセン病訴訟、そして今問題になっているC型肝炎の弁護士による意見書等、様々なところで国は被害者に対しておわびをされました。
そして、国会でも社会党の須原昭二議員始め、その人たちが援護法の法案を出したりしているということでございます。 国の政策が後手に回ったために被害者を出したヤコブ病訴訟、そしてハンセン病訴訟、そして今問題になっているC型肝炎の弁護士による意見書等、様々なところで国は被害者に対しておわびをされました。
私たちは、昭和四十七年故須原昭二君が提案してから各党が全会一致で出すまでの間、忍耐強く時を待ってきたのであります。 でありますから、先ほどから言うように、法律がないから、考えが違うからというのは、私どもの考えに反対してつくらなかっただけでありまして、決してそんなこじつけの話をする局長の御答弁をいただく用意がない。
私が国会議員になったのは昭和四十九年で、若造でありますが、四十八年以来須原昭二君がこの国会に提案した戦時災害援護法を厚生省にお願いをしておる、それについて、どうしたのかという意味のことを聞いておるんですが、援護局長はすらすらと、人様がやっておるので知らぬということになる。 私は、これは援護局長に聞くというよりも、大臣に聞いてほしい。
これが請願の趣旨であり、越えて、いまもうすでに亡くなった須原昭二参議院議員が参議院において立案をし、後を引いて五十一年の五月に片山甚市君を筆頭にいたします戦時災害援護法案が参議院に上程されて、すでに久しいものがあります。 この二つの要求につきまして、政府に善処を求めてまいったわけでありますが、一向政府の重い足腰が立ってはおりません。
これは四十七年の八月の参議院の社会労働委員会で、わが党の亡き須原昭二同僚議員と厚生省との間で文書でも確認されているのです。これは厚生大臣、ここでも確認を願いたいと思うのですが、よろしいですね。
○浜本万三君 去る第七十一国会にわが党の和田静夫君が予算委員会で、また亡くなりました須原昭二君が本委員会で質疑を行っておるものでございますが、いわゆる中医協の委員に、個人としての医師の代表でなく、公的医療機関としての病院の代表を入れるべきではないかというふうに考えますが、いかがでしょうか。
本日ここに、過ぐる三月四日逝去されました故須原昭二君の追悼の辞を申し上げます。 いまは悲しい思い出となったものの、君とは全く赤裸々な人間同士の深い交際を続けさせていただきました。これも君の誠実な人柄と、ひたむきなその信念に生きようとする真摯な姿に引かれるものがあったからにほかなりません。
する法律案(内閣提出、衆議院送付) 第七 入場税法の一部を改正する法律案(内閣 提出、衆議院送付) 第八 相続税法の一部を改正する法律案(内閣 提出、衆議院送付) 第九 裁判所職員定員法の一部を改正する法律 案(内閣提出、衆議院送付) 第一〇 下水道事業センター法の一部を改正す る法律案(内閣提出) ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、故議員須原昭二君
議員須原昭二君は、去る四日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。 ここにその弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は議員正五位勲三等須原昭二君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます —————・—————
○事務総長(岸田實君) 去る三月四日逝去されました議員須原昭二君の御遺族に対しましては、法律の定めるところにより、弔慰金を差し上げるのでございますが、お手元の資料のとおり、弔慰金の一部を本院予備金から支出することになりますので、国会予備金に関する法律第二条の規定により本委員会の御承認をお願いする次第でございます。
昭和五十年三月十四日(金曜日) 午後二時五分開会 ————————————— 委員の異動 三月四日 委員須原昭二君は逝去された。
本委員会委員須原昭二君は、去る三月四日、急性肺炎のため逝去されました。まことに哀悼痛惜にたえません。 同君は本委員会の同僚委員として一緒に国政に尽くしてまいりましたが、ここに皆様とともに謹んで黙祷をささげ、哀悼の意を表しまして、御冥福をお祈りいたしたいと思います。 どうか出席者全員の御起立をお願いいたします。 黙祷。 〔総員起立、黙祷〕
去る三月五日、岩間正男君が委員を辞任され、その補欠として上田耕一郎君が、また、ただいま御報告のとおり、須原昭二君の補欠として矢田部理君が、三月六日、上田耕一郎君が委員を辞任され、その補欠として須藤五郎君が、昨十三日、須藤五郎君及び野末陳平君が委員を辞任され、その補欠として加藤進君及び喜屋武眞榮君がそれぞれ選任されました。 —————————————
川上 路夫君 記 録 部 長 江上七夫介君 警 務 部 長 指宿 清秀君 庶 務 部 長 前川 清君 管 理 部 長 佐橋 宣雄君 渉 外 部 長 武田 實君 法制局側 法 制 局 長 杉山恵一郎君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○故議員須原昭二君
○事務総長(岸田實君) 須原昭二君には、去る三月四日、胃潰瘍に急性肺炎併発のため、名古屋第一赤十字病院において逝去されました。 謹んで御報告申し上げます。 本委員会の理事会におきましては、協議の結果、お手元にお配りしてあります案文の弔詞を贈呈いたすことに決定いたした次第でございます。
昭和五十年三月十一日(火曜日) 午後一時五分開会 ————————————— 委員の異動 二月二十七日 辞任 補欠選任 斎藤 十朗君 山東 昭子君 三月一日 辞任 補欠選任 山東 昭子君 斎藤 十朗君 三月四日 委員須原昭二君は逝去された。
○委員長(山崎昇君) すでに御承知のことと存じますが、本委員会理事須原昭二君は、去る四日名古屋第一赤十字病院において胃潰瘍、急性肺炎併発のため逝去されました。 本委員会における同君の御活躍は目覚ましく、多大の御功績を上げられたのでありまして、同君の急逝はまことに痛恨哀惜のきわみと存じます。
なお、昨夜、同志同僚参議院議員である須原昭二君が病死いたしまして、悲しい中に私は総理にお伺いすることになります。同君の冥福を祈りつつ、同君の志を継いで、ひとつ総理もまた関係大臣も率直簡明にお答えをいただきたいと、かように思います。 さて、その第一点でございますが、三木総理は確かに長い戦前を通じての政党政治家であることは、みずからもこれを内外に表明されております。
昭和四十九年十二月二十七日(金曜日) 午前十時二十一分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 山崎 昇君 理 事 玉置 和郎君 理 事 丸茂 重貞君 理 事 須原 昭二君 理 事 小平 芳平君 石本 茂君
○須原昭二君 私は、ただいま可決されました日雇労働者健康保険法の一部を改正する法律案に対し、自由民主党、日本社会党、公明党、日本共産党及び民社党共同提案の附帯決議案を提出をいたします。 案文を朗読をいたします。 日雇労働者健康保険法の一部を改正する法律案に対する附帯決議案 政府は、次の事項について実現に努めること。
○須原昭二君 八番目は、先ほども私も質疑の中でお話しをいたしました三事業の運営の問題点。 雇用改善事業等の三事業の実施にあたっては、失業給付との経理上の区分を明確にして、また、その運営にあたっては、労働者の利益がそこなわれることのないように、労使の意見を十二分に反映させるための措置を講ずべきであると私は思うのです。その点について労働大臣はいかがお考えですか。
○須原昭二君 以上、十二項目について、まだ私としてはたくさんの問題点を指摘をいたしたいんですが、特に本委員会の質疑を通じて問題となった点、重要な点をまとめて十二項目にわたって労働大臣の所見を承りました。その内容については、まだまだいろいろ私たちも疑念を持ちますが、ぜひともこの十二項目については早急に実現の方途を見出していただくように特に要望して、私の質問を終わりたいと思います。
○須原昭二君 いずれかだ、どちらを重視するかということです。
委員長 山崎 昇君 理 事 玉置 和郎君 丸茂 重貞君 須原 昭二君 小平 芳平君 委 員 石本 茂君 上原 正吉君 小川 半次君
森 勝治君 羽生 三七君 戸叶 武君 小柳 勇君 阿具根 登君 中村 波男君 松永 忠二君 森下 昭司君 近藤 忠孝君 山中 郁子君 粕谷 照美君 片山 甚市君 目黒今朝次郎君 橋本 敦君 安武 洋子君 内藤 功君 寺田 熊雄君 須原 昭二
森 勝治君 羽生 三七君 戸叶 武君 小柳 勇君 阿具根 登君 中村 波男君 松永 忠二君 森下 昭司君 近藤 忠孝君 山中 郁子君 粕谷 照美君 片山 甚市君 目黒今朝次郎君 橋本 敦君 安武 洋子君 内藤 功君 寺田 熊雄君 須原 昭二
昭和四十九年十二月二十一日(土曜日) 午後一時六分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 山崎 昇君 理 事 玉置 和郎君 理 事 丸茂 重貞君 理 事 須原 昭二君 理 事 小平 芳平君 上原 正吉君
河本嘉久蔵君 永野 嚴雄君 望月 邦夫君 山本茂一郎君 案納 勝君 工藤 良平君 小山 一平君 佐々木静子君 須原 昭二